昭和五十年十月十五日 御理解 第二十八節「病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは井戸替えをするに八九分替えて退屈して止めれば掃除は出来ぬ、それで矢張り水は濁って居るようなもので、信心も途中で止めれば掃除はできぬ、それで矢張り水は濁って居るようなもので、信心も途中で止めれば病気災難の根は切れぬ、井戸は清水になるまで病気災難は根の切れる迄、一心に壮健で繁盛するよう元気な心で信心せよ」
一心に信心をさせて貰い、そしていろいろとおかげを受けておる、この人は大丈夫だろう動くまいと思うような人でも、あっと言う間に信心を止める人があります、もうそれは本当にもう親先生のためなら、命をも惜しまんと言う位なけっしてその時は嘘ではないでしょうけれども、実感で信心を頂いている人がもう本当にアッと言う間に信心を止めてしまう まあようあんなにころっと止められるもんだと思う位に、そこでまあ私達取り次ぎ者としてはどんなに熱心に信心を頂いとっても、どんなに素晴らしいと言うても、信者の方を向いてはならぬ、信者を当てにしてはならん、もうこれは取り次ぎ者の精神でなからねばならん、と私もそう思うとります、どんなに総代です幹部ですと言うてもです。
だから私はいつも申しますけど、どんなに総代さん達に言うても決してあなた方を一つも頼りにはしとらんと私は言うのです。
サア大祭でサア教会のいろんな用事だと言ってもです、ならあなた方を一つも信用しとらんとか、お世話にならんでも良いですよと言うのではなくしてです、もうこれはどこまでも願うのは神様一心だと、思うとりますから信者の方は振り向かない。
信者は頼らない信者に縋るような事であっちゃならんと言う風に私は思います。
今日あたりの御理解を頂いとりますと、どうでも根の切れるまでと言う井戸は清水になるまでと言う、そう言う信心を頂いて貰いたいと言う事は、取り次ぎ者としての願いであります、それは天地金の神様の願いでもある、また金光大神はそれを取り次いで下さるのが金光大神であります。
ですから神も助かり神も立ち行く金光大神もまた喜んで下さると言ったようなおかげ、またはそう言う信心を身に付けて行かなければ、ならんのです。もうそれは金光様の信心をとても止めきらんと言うとっても、ならコロッと止めて行く人達があったりすると言う事がです、やっぱりこの八九分目位までは一生懸命だけれども、後の一分だ、あと二分だと言うところで退屈して止めればと、言われるのですから各自各自の信心の中に愈々絶対なものと頂かねばならない。
それにはどうしてもですもう切ろうにも切れないとね、そう言うものが交流し出さなければ、神様または取り次ぎ者、親先生の間に切ろうにも切る事の出来ない程しの強いものが そこに頂かれなければならないと思うのです。
昨夜大分支部の共励会に私が参りました、もうあちらから帰ったのも随分遅かったでしょうが丁度、金光の方から古川達が夫婦で御大祭参拝に昨日の夕方からこちらに、私どもが出かけには来とりませんでしたから、その後に参っとりました。
それでこんどあちらえ御普請ができとります、あの部屋へ、出来とりますもうギリギリ、あの人達が此処へ着くのと建具やらが入ったのが一緒だったそうで御座いますからあの部屋に夕べは泊まらせて頂いとります。
下からこう見たら電気が明々とついとりますから、一遍見ろうと二階に上がりましたもんですから、皆も上がって見えました、秋永先生を初め菊栄会の方達、ここから来た人達皆二階によって、それからあちらでまたお茶を頂いてから、信心話に花が咲きよりましたから、もう随分遅くなったでしょうで皆が、泊まるかと思いよったら、泊まらんで帰ると言いますから送り出そうと思いましたら、正義さんと文男先生が暫く御用さして頂いてから帰りますと言う、それからまた私の部屋へ来てから二人に足を揉んで貰いながら、もう本当に随分おそかったと思うんですけども、まあ疲れご体の上にまたああした御用をしてゆきます。
それから帰らして頂く時にこっちも起き出してから、なら用心して帰らんのと言うてから挨拶を交わした途端に私が頂く事が、文男先生を御神眼に頂いて吉良の仁吉と言う事を頂きました、ねあの吉良の仁吉と言えば何ですか次郎長伝に出て来る、言わば遊び人ですね、侠客です、吉良の仁吉、私はくわしくは知りませんけどそれこそ義理人情の世界を講談にしたものでございましょうか、家内のお父さんと言う人があんまり良い人じゃなかった、そこで清水一家の何か義理があったでしょ、それでも本当に仲の良い夫婦ですけども、それを離縁状をいや離縁をすると言う、まあ言うならばそこがまあ講談なんかの一番聞かせどこであり泣きどころだと思いますね、もう本当に好きで一緒になった、家内に離縁状を持たせて里に帰らせる、と言う筋だとおもいます。
それはもう何年か前でしたけれども文男さんの事でこんな事を頂いた事があったです、これは新派のお芝居で有名な湯島天神の場ですかね、あそこのところにお蔦と主税の交わす科白の中に、それこそ今申しますようにそれこそ好きで好きで合い惚れて一緒になった仲なのです、ところが師匠である先生から別れろと言う事を言われる、そこで湯島天神でその別れ話を持ち出して、兎に角切れて呉別れて呉と言う訳です。
だから芸者の時代ならいざ知らず、切れの別れろと言うのはもう私の芸者時代の事であって、今はねそう言う訳にはいかんと、私にもし本当に別れて呉と言うのならなぜ死んで呉と言うてくださらんかと言うところがある、その時に力が申します。
師匠それも本当に命の大恩人、自分が今日こうやってしておるのもその先生のおかげだと その恩はもう海山にも尽くされないものだと、私とあんたの二つの命を一緒にしても足りない人からの、話だから頼みだからと、言うところがございます。そのところを文男さんの事で頂いた事がございます。
まあそれもこれも同じような意味あいですけれども、それも只義理とか人情と言うそう言うしがらみのものでなくて、そう言う一途な思いと言うものが、信心で生まれるとき所謂義理人情じゃないですよ、それが信心でそう言う例えて申しますならです、あの人達夫婦が私がもし別れろと言うたならばです、それこそお蔦主税ではないですけれども、吉良の仁吉じゃないですけれども、それこそ私とあんたの命を二つにしても未だ足りない程しのものを合楽の親先生に感じてあるんだと、だから義理人情ではない信心でそれか言えなさる時に、それが実際問題としてそう言う事が出来ようとは思いません、ね、文男さんにけれどもねそれと同じような精神をこの人は持っておると、言う事を私はお知らせを頂いて私は改めてそう思いました。
義理人情じゃない所謂信心させて頂いとる間に、いつの間にか、私と文男さんとの間にです、切ろうにも切れないものが、それは私がお前だん夫婦別れせろと言うて泣きの涙であるけれども、親先生が言うから別れる、そう言う事ではない、そう言う事は出来ないにしても、そう言うものが金光教の信心と文男さんの間に、何か交流しておる様なものを、あの人の日頃の信心から私は感じたのです。ああ吉良の仁吉を頂いたのはそう言うようなものを持っておるのに、あの人の信心の言うならば魅力と言うかね、本当に魅力ある信心を致します、がそう言う者があるのだなと私はゆうべ感じました。
私は途中で止めればと言うならば折角の井戸は清水になるまでと、言うおかげが頂かれずにそれこそ病気災難は根の切れる迄と言う、程しのおかげが頂かれる信心であってです、止めてしまうような事があってはならないのですけれども、そこでです、もう切ろうにも切れなかったと言うか、そう言うものを私は金光教の信心にそう言うものを求めて、言うならばここで申しますならば、合楽教会とも所謂、それを身近に言うならば親先生と私と言うようなものが、交流し出すと言うかそう言うきずなに結ばれている自分がです、もし皆さん感じられるならばです、まあそれでも今日私が申します様にそれをもうあれ程しの 親先生に対する打ち込みを持った人があの様にしてコロッと止めて行く事実がある、いくらも。
たから文男さんだって実は分からんのです、分からんけれどもです、その今日聞いて頂いた、吉良の仁吉の離縁状の場と申しましょうか、湯島天神の場と申しましょうか、それじゃないですけれども、そう言う精神が義理人情ではないですけれども、なくて真の信心からと言う精神が頂けれるような信心を頂いておればです、切ろうにも切られない、それはすきな女房と別れろといわれても、血の涙の出るような思いもです、やはり親先生の方を取らして貰うと言ったようなものが、そのものがね段々と出来てこなければならないと思う 私はこれを義理人情の世界ではなくて、本当に信心で此処が出来るようになったら、本当に神様も安心、そこにはじめてあの氏子は安心と言うところがです、私共もまた安心のおかげに繋がる事のできれる、信心が生まれて来るんだと言う風に思います。
二十八節をそう言う風な角度から今日は聞いて頂きました、この二十八節の言うならば御理解の説明ではなくてです、途中で止めようにも止められない程しのです、皆さんと私と言うか皆さんと金光大神と言うて良いですけれども、それはあまりにも隔たりがありますから、私と皆さんと言う間柄と言うものがね切ろうにも切れない程しの、もので結ばれる程しの、おかげを私も頂きたい、皆さんにも頂いて貰いたいと言う風に感じました。
昨日そんなお知らせを頂いて、今日この二十八節を頂きましたから、今日は切ろうにも切られない、八分九分替えて退屈して止めればとおっしゃる、止めようと思うてもです、もう止められないと言う程しのものを、身につけたいと思いますですね。どうぞ。